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「魂の一字書」より

 戦後、新しい時代の新しい表現としての少字数書、就中一字書を世に広めたのが父手島右卿
ゆうけい
(1901〜1987)でした。
 それまで一般的であった漢字書の多数字の字間・行間の表現に対して右卿は「一字書は書というものを別の美意識で表現できる」と考えました。現代的な象形表現ということになれば、それまでの伝統的な漢詩、漢文が読みにくいものとなり、私たちは漢文を日本語で読み下して理解します。
 漢字の多くは表意文字であるので、一字だけの意味を負っています。それ故、一字の書における言葉と形には深い関係があります。一字から二字の簡潔な句を選び象徴化し純化した作品を創作するーーーー多くを語るより一言でいい切る言霊
ことだま
の響きを追求したーーーーそれを右卿は「象書
しょうしょ
」と唱えました。
 新しい書は絵画性へと接近を試み、線と空間を希求します。では、書は美しけれはそれでいいのかーーーー形(フォルム)の美しさが芸術なのかといえばこれは外面的な捉え方でしかありません。実は書の本質は文字を書くだけのものではないのです。果たして独創的な書とはどのようなものか。更に正確を期すれば、下手に見える書でも精神が表れているものは芸術書となり得るに違いありません。
 高僧の書画がその良い例で、聖人・高僧といわれる人の書はその巧拙を超えて味わい深いものがあります。書は極めて精神的な、つまり人の精神の根源を表出するメソッドであり、それ故に古来より「書は人なり」とも言われます。
 聖人や高僧の書、或いは辛酸を舐め尽くした文人の書は、心線を鍛え上げて独創の書をものにしています。複雑多岐な心を一点に集中するためには精神鍛錬が不可欠です。一心に
まこと
を委ね、我を忘れて唯、筆を持っては能く書かんとする心が貴いのです。
 父右卿は絶妙な古法(八面出鋒)をもって優品を遺しました。つまり円運動による筆力、沈着、飛動の妙を成就しました。しかし私は右卿の書法を模倣するつもりはありません。むしろ私は古法による円相の書ではなく、単鈎法からも廻腕法からも自由となり、矩形のズシリとした書を書きたいと願っています。巧まざる自分自身の書をーーーー
 書は本来、一人一人千変万化であるべきです。万象はそれぞれ文字のうちに在るという。この深遠廣大なる世界観をもって、究極の書表現である一字書をとことん追求してゆきたいと念じています。
 象徴とメタファ(隠喩)の結合が私たちを悠久へと誘います。正しく一字書は魂を打ち込む「気合」とともに成就し、そこから発する”光”は神の化身となり得るでしょうかーーーー。

手島泰六